そろそろ3年が経つ

あの日からそろそろ3年か、と懐かしい気持ちで私はこのブログを開いた。
推しは相変わらず週刊誌で目の敵にされつつも、本人はたまに山奥で狩猟などをしつつ、役者の仕事を続けている。
最近は立て続けにミニシアター系作品に2本出て、サイン会などするようになった。

去年私は、すごく推しにイライラしていた。
毎月ファンレターを書いて、そこそこクラウドファンディングに出資して、「これだけやってやってんのに」何のリアクションも返してこないことに対してイライラしていた。傲慢なオタクだ。
が、彼の出演映画にクラウドファンディングが続き、金を搾取されたばかりで、何のリターンもないような、そんな気持ちになっていたのだ。

7月下旬頃だっただろうか、クラウドファンディングが発表された。
3.5万でサイン入りポスターと記念撮影、5万でサイン入り台本と記念撮影。
それを見た私は情緒を乱し、手元に現金を置くことが恐ろしくなり、分割で払うつもりの市民税を一括で支払った。
が、最終的にはクラファンの両方に課金した。半ば意地だった。同担の誰かに負けたくなかった。

その記念撮影イベントまでの間、私はもう推し活に疲れ果てたなどと言っていた。
なんだか推しの新作映画にもうんざりした気持ちになっていたのだ。
同じような気持ちを共有した友人が数人いて、ファン仲間の内の一人は「ファン上がる」と公言し、男性アイドルに打ち込んだ。

その記念撮影イベントは11月と12月にあった。
これだけ参加したら、もう彼のファンはやめてやろうと私は思っていた。結構本気だった。
ファンとして心の残りのないように、インターネットで同担から売られたケンカを買うなどもした。
もうどうにでもなれ、と思っていた。
半ばヤケクソでフラワースタンドも送った。意地とヤケだった。

会場全体撮影のとき、最前列にいた私達に向かって、登壇者である美術監督が降りてきた。
「あ、そのお花の」
解体されたフラワースタンドから、私はパネルを外して持ち帰っていたのだ。
「お花ありがとうございました。」
それが、推しが私という個に初めてかけた言葉だった。

記念撮影前、初めて推しと話した。
「今まで送っていた手紙は、何かになっていましたか?」
「はい、励みになっています」
「本当にィ~?」
そんなことを話した。本気の「本当にィ~?」だった。どうせ彼がいう紋切型の挨拶なんだろうと思っていた。
記念撮影をした。彼が一歩こちらに詰める。私は画面中央のポスターの裏に半分隠れてしまった。
推しの霊圧を感じた気がする。
映画館壇上での記念撮影が終わった。なんだか感激した。
観劇した足取りのまま、壇上から降りる階段から落ちかけた。
そのときの記念撮影は、ファン仲間じゃないフォロワーから祝福のいいねをもらった。フォロワーがみんな優しい。

その3週間後、もう一度記念撮影をするイベントの日がやってきた。
私はその日を最後に、隠居するつもりでいた。
かねてより憧れていた趣味の世界に行く、それを推しに言って、もうこれからは来ないと告げるつもりでいた。
隠居というのは、水戸黄門的に、たまには印籠を掲げながら戻ってくることもある、という意味だった。
戻ってきたくなったときのために、もう二度と来ないと言うわけにはいかない。
私は自己矛盾が嫌いだ。

雨の降る中、新宿三丁目セガフレードで推しに手紙を書いた。
これまでどんな気持ちで手紙を書いて花を送ってきたのか、彼が週刊誌の攻撃に曝されていたとき「日本中に嫌われたかと思った」と述べたのを読んでどんな気持ちになったのか、そんなことをしたためた。
そのき私は泣いた。どうして泣いたのか、今はあまり覚えていない。

記念撮影時、彼を知ったきっかけとなった映画にちなんだポーズを取った。
撮影時、私のスマホケースを指さして、彼がその作品名を言う。よし、今言おう。
「私、レプリカ車作って、ラリーに出ます。だから、これからあんまりイベント来たり、お花送ったりできません」
「まじ!?事故のないように……あ、階段もお気をつけて…………」
私はそのとき心底驚いた。
今まで目の前を横切っても視線一つくれなかったこの男が、私が前回階段から落ちた女だと、覚えていたらしい。
推しに、覚えられていたらしい。
1ヶ月経った今思えば覚えられていて当然だったが、それまでは彼の認知の中に自分がいるのかどうか、不安でならなかったのだ。

結果私はファンをやめられず、その後たまたま休みの日に彼が私の地元で舞台挨拶とサイン会をし、私はそこに結局趣き、名乗るより先に彼の筆致が私の名を書き、年を明けた今、すれ違うときに会釈をされるまでになっていた。
結局私は、ファンをやめられなかった。
やめられないどころか、拗らせていた。


3年前、私はメディアの前で泣いていた。
どこか遠い空の下にいる彼が日本中に責められるのがつらくて、くるしくて、泣いていた。
3年経って私は笑っている。
推しと1メートル以内の距離で、ニヤニヤと、気持ち悪い笑顔を浮かべている。